山田道則氏のインタビューにて

いすみ田園の美術館で開催された三人展でご一緒した山田道則氏が、インタビューの中でミズテツオについて触れてくださいました。
その一部を抜粋し、ご紹介申し上げます。

山田道則氏インタビュー(その壱) 美術学園からスペインヘー(鞆の会会報より抜粋)

昭和四十四年に、武蔵野美術大学が吉祥寺の古い校舎を利用して美術学園を作ったんです。
僕は学校なんか行かず、自分で描いてりゃいいと思っていましたが、友人に勧められて「じゃあ行ってみよう」と思いましてね。そしたら、そこにミズテツオさんがいて、同級生になった。学校に行ってよかったですよ。行かなければミズさんには出会わなかった。

学校に行って、良い先生に教わったぐらいで上手くなるものではないけどね。ただ、その友達とか環境ですね。
それから美術学校って、友達の絵が見えるんですよ。「自分よりずっとうまいな」とか、「これは何を描いてるんだろう」とかね。
なので、下手は下手なりに、彼は彼なりに非常に悩んでいたり、考えていたりもしていて。スラスラとただ学校の教育に則して上手に描くことはできないと、真剣に悩む人もいる。
そういうのを見てわかるわけです。自分とは違う。
その友達はいい人だなと思うけど、その友達が僕にはどうとも思われない絵を「いい」と言う。あんなにまで言うんだから、いいのかなと。
自分の好みだけで見ないで、そういうことも美術学校の良さだと思うんです。

昔の上野の美術学校の創設当初とか、それから画塾だとかも、そんな感じだったじゃないか。鞆音の塾も、画塾の教育ってそんなだろうと思います。
だから、直接先生に何か教わるというよりも、その中で揉まれたり、同門の人の意見を聞いたり、それがすごくいいんですね。あの頃の良い画家は、ほとんどそういうところから集まっていますね。

僕の行った学校もね、ミズさんがいたからだと思うけど、そういう感じがあったんですよね。
ミズさんは六つ年上で、僕が入ったときはもう先生と大して歳が違わなかったりして。ミズさんは「山田くんと違って俺は先がない。
自分なりの絵を描かなくては」という感じでした。(鞆の会会報より抜粋)